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人の「体温」があってこそ。

携帯電話もなかった私の学生時代、コミュニケーションはもっぱら会って、もしくは声を聞けるツールとしての電話でとるしかなかった。

今から思うと不便なようでいて、それはとても人と人をより結びつけたように思う。

長電話をしたら親にこっぴどく怒られるので、

「今から行っていい?」

と電話で聞いて、OKが出たら飛び出して行ったものだ。

会って、顔を見て、話したいことをたくさん話した。

もちろん、人と人の交流はすべてがいいことばかりじゃなく、時にはすれ違い、時には誤解も生み、摩擦が起こることだってあったけれど、

そうして研磨されていったことは限りなく大きい。

その頃は、嫌なことはメールで済ませるとか、誹謗中傷を匿名で書き込むとか、そういうことが出来なかったので、面倒だろうが、嫌だろうが、声を聞いて話す電話を使うか、会って話すかしか選択はなかった。

「人の嫌がることはやってはいけません」

と親に言われた人は多いと思うが、そうやって自分と違う人は、こんなことも嫌だと思うのか。こんなことを言ったりしたりすると、こんな報復を受けるのか。と身を持って、時には痛みを持って知った。

今はネットがこんなにも発達して、ある意味便利ではあるけれど、ネットではガンガン発言できるのに、会ったら全然話せないという人が増えている。

匿名なら何でも言える。

人の痛みが見えないから、自分にも痛みを伴うことがない。

やってはいけません、という基本的なことを犯す人もいる。

そうして、ブログやmixiなどで似たり寄ったりの「類が友を呼んだ」会ったこともないバーチャル仲間で盛り上がる。

責任のない盛り上げで背中を押され、会社を辞めた人も知っているが、待っていたのは収入を立たれたがための窮地。

救ってくれると思っていたバーチャル仲間は「頑張れ!」「大丈夫だよ!」と一見気に掛けている発言で慰めてくれるが、誰一人として駆けつけてはくれない。

ネットで人脈を築ける人、

というのは「人の体温」を感じさせられる人、

つまりネットで人脈がすべてではなく、いちキッカケとして使える人であり、

必ず「コミュニケーション」の基本的な心の部分がなされている人だのだと、私が今まで出逢ってきた数々の素晴らしい人たちが見せてくれた。

そんな人には必ず「体温」がある。

人は、体温なくしては解凍できないものがある

とは私の人生における経験から言える格言になった。

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