「~しなければならない。」ということにとらわれてしまうと、自分の思考や行動が狭くなり、自分もしんどい思いをすることが多いのだけれど、
自分以外の人にも、自分の価値観で「~しなければならない。」と当てはめてしまうと、さらにしんどくなってくる。
そこまで思っているわけではないとしても、「もーちょっと~してくれないだろうか?」とか「こういうときは、こうしてくれるともっと~なのに・・・」とか思ってしまうことって、人間誰しも多少なりともあると思う。
明らかに社会的にも、人間的にもマナー・ルール違反だろうということなら、相手に伝える勇気も出るのだけれど、これは自分の価値観の問題だな、と思うことは言っちゃいけないことのように思ってしまう。
・・・そんなことってないですか?
本当は気分を害しているのに、いい子ちゃんメールを返信している自分・・・みたいな。
先日、自分の価値観に基づいた話をしたところ「月野さんって古風なんですね~」と言われたのですが、それがいいと思って言われたのか、頭が固いと思って言われたのか、真意のほどは分かりません。
それは、物心ついたときから祖父母と同居し、躾は祖父母から受けたほうが多いので、影響は多々受けていると思います。
ネットって気軽に交流が持てるので、顔も知らない人と交流していることがとても多いです。
でも、気軽に交流できるからこそ、祖母や母が頂き物が入っていた箱に、家で採れた野菜や作った煮物などを入れてお返ししていた、その「心」の部分により気を配っていたいと思うのです。
カラッポの箱を持って来て「何か私に必要なものを入れてください」というようなケースが多いだけに、そういう「心」を大切にしたいと、改めて感じています。