「○○さんだから出来たんでしょ」
という言葉。
これにはたいていこう返されます。
「そんなことはありません。私にも出来たんだから、あなたにだって出来ます」
私はどちらも思ったり、言ったりしたことがあります。
だって、本当にそう思っていたから。
私が離婚して2年くらい経った頃、インターネットである女性起業家さんを知りました。
小さな子供もいるというその人は、とてもイキイキとして見えて、当時はまだ少なかった音声CDを販売したりしていました。
仕事場は自宅のリビングだと言うその女性に、素直に憧れました。
ある日、彼女のブログで会社を設立して社長になったということが書かれていました。
すごい!と思いました。
すると、そこに書いてあった一行の言葉・・・
「主人が全力で応援すると言ってくれた」
に、当時の私はこう思ってしまったのです。
「あぁ、そうか。ダンナさんがいるなら、そのダンナさんが全力で応援してくれるなら、そりゃー、やれるでしょ」と。
当時の私は、家計を支えるベースになる収入を運んでくれるダンナさんがいる女性が活躍しているのを見ると、自分と違うひがみから
そんな浅ましいことを思ってしまっていたんですね~・・・。
だから「ダンナさんがいる○○さんだから出来るんじゃない」って思ってたんです。
それから私も起業して、自分なりに頑張っているうちに出版させていただいたり、メディアから取材を受けたりすることもあり、
本当の私を知らない方から見ると、表面的には華やかに見えるようになったようで、
「るなさんだから出来たんですよ」
と言われると、「私でも出来たんだから、あなたに出来ないわけがない」と本気で思いました。
だってね、ほんとにすごいグズグズだし、自分に甘いとこもたくさんあるし、面倒臭がりだし・・・。←まだまだあるけど(爆)
でもね、今はどちらの気持ちも経験して
「○○さんだから出来た」
は、ホントだと思うようになりました。
その人だから出来た、ということは、その人が持っている資質、環境、経験値などを、その人なりに活かした結果だと思うのですね。
それは、その人だからこそのプラスの面もマイナスの面も、その人が乗り越えて、積み上げて、やっと人からも目に見えるようになって、理解してもらえるようになった
その人のほんの一部分が評価されるようになった、ということでもあると思うのです。
○○さんになろうと思うから、ひがみが生まれたり、私には無理と思い込んだりするのではないでしょうか。
○○さんでなければ出来なかったことがある、ということは
自分でなければ出来ないことがある、ということでもあるわけで。
それは、大きなことでなくていい。
自分だけが分かることでいい。
だけど、それをココロから誇れること。
私は「うちの娘たちの母親は私しか出来ない」というのが、何よりの誇りです。
娘たちの母親って、娘たちを生んだ私じゃないと出来ません。
だから、娘たちに「うちのお母さんの作る○○が一番美味しい」とか、そんなことを言われるとご満悦です。(笑)
「○○さんだから出来た」
って、そんなことでもいいんじゃないでしょうか。
例えば、身近な例で言えば、月収が○○○万円ですごいとか、アメブロで読者が数千人でスゴイとか、そんな
皆が認めてくれる結果を出すこともいいけど、
自分しか分からないけど、それが誇りで自慢なら「これ、私だから出来たんだよー」って鼻高々でOKだと思うんです!
○○さんみたいになる必要なんて、どこにもない。
自分しかできないこと、しっかり持っていたいです