「自分にとって、耳の痛い言葉を言ってくれる人がいなくなったら終わりやと思ってるねん」
と、尊敬する女性経営者の方が言ったコトバが、なんだかとても心に残っています。
大人になって、まして経営者ともなると、なかなか「耳の痛いアドバイス」をくれる人が減っていくように思います。
冒頭のセリフを言った女性経営者の方は、耳の痛い言葉を言ってくれる人を報酬を支払ってまでも身近におかれています。
若い頃は「○○さんがあなたのことを×××って言ってたよ」的なことが結構頻繁にあったなぁと思うのですが、
大人になると「傷つけては可哀相」という妙な親切心や、「別に私が悪く言われているわけじゃないからほっておけばいい」という他人ゴトな気持ちになって、
どこかでそういう話を聞いてもスルーすることがとっても多いですよね。
だけど・・・3人以上の人に同じことを聞いたら、まず間違いなく、おおよその人が同じように思っていると言ってもいいと思っています。(経験上ね)
実は、私去年、3人以上の方から、ほぼ同じことを聞くことがあり、大きなお世話なんだろうなぁとどこかで思いつつ、ご本人に伝えたことがあります。
もちろん「最近、アチコチであなたのこんな話をよく聞くんだけど」なんて言えませんから、
あくまで私からのアドバイスというカタチで、聞いた棘のあるコトバを別のコトバに変換したり工夫はしました。
だけど・・・伝わらなかったようです
後日、その方が私のことを色々言われているということを、本人ではなく別の方から聞いて、とても複雑でした。
ちゃんと届けられなかった自分の「伝え方」がよくなかったのだろうかと、ずっと色々考えてしまったりもしました。
自分の中ではご縁のあった方で、応援したいと思ったことがあった方だったから。
でも、相手にとっては、耳の痛いコトバまで聞けるくらいの関係だとは思ってもらえてなかったんだなーと思いました。
この一件で、冒頭の言葉が浮かんできたんです。
私もちゃんと耳の痛いコトバを聞ける人間でいられているだろうか?と。
実際、私はその方に対して、もうどこで何を聞いてもお伝えすることはないし、アドバイスもしません。これを自分に置き換えたら怖いなぁと思ったんです。
成長できるチャンスを逃しているだけでなく、人も遠ざけてしまうのだな、と。
耳に痛いコトバは、「伝え方」と「受け取り方」がとても微妙なバランスだからこそ、そういうことを言える関係を築けることが一番なんですよね、きっと。