大家族の中で幼少期を過ごし、血の繋がっている人間同士の遠慮のない感情のぶつけ合いを見て育ったせいか、「怒る」という感情を持つことは多々あると理解する反面、その様子がとても怖かったので「自分は怒ってはいけない」、と我慢するクセがついてしまいました。
大阪のおばちゃんのように、ブチブチと文句をたれることはよくあっても(笑)、本気で怒ることって滅多にないんです。
でも、それは自分で怒りの感情を押し込めて、自分が納得できる理由をつけたりして逃していただけだったんですよね。
でも、この方に「怒ってるって感情があることを認めてあげていいんだよ」って言われたとき、ポロッと何かが落っこちたような気がしました。
湧きあがった感情を「持ってはいけない」と否定したり押し込めたりするのではなく、「私は今怒っている」と認識することって大事だったんだ、と思ったわけです。
本当は怒っているのに怒ってないとか、本当は悲しいのに悲しくないとか、自分の感情を否定してしまうから、感情が絡まって余計にしんどくなるんだなーと。
怒っている、と感情を認めたら、その怒りの奥に隠れていた感情が見えてきました。怒りの「隠れ感情」、こっちが本当だったんだなーって。
人って、生きてると色々ありますね。
でも、悲しみや怒りの感情を持てるからこそ、喜びや幸せの感情も持てるんだとも思います。
しかし、関係を切りようがなく、血みどろになっても向かい合わないといけない親子関係とかだと、これは結構な「修行」ですねー