それは、私の中に「嫌いと言ってはいけない。嫌いと思うことはいけないことだ」という意識が強く根付いていることに気付いた、ということ。
これ、たぶん私だけじゃないと思うのですが、小さな頃から親や回りの大人たちに言われ続けたことによる「刷り込み」が強いんじゃないかと思うんです。
口に合わない食べ物を残すと
「好き嫌いしてはいけません。全部食べなさい」
と言われる。
学校で嫌な思いをして、帰って訴えると
「友達のことを嫌いと言ってはいけません。仲良くしなさい」
と言われる。
そんなたわいないことが、日常の中にたくさんあって、特に人間関係は「人のことを嫌いと言わない人がいい人だ」という定義みたいなものまで存在します。
友達とモメると、先生にこう言われます。
「仲良くするためにはどうしたらいい?」
そこで、合わない者同士が渋々グループを作って、一緒に帰ったりするハメになります。
先生は仲良くしているように見せている表面上だけを見て、安心するのです。
考えると、そんなことを積み重ねて生きてきたんだな~ということに驚かされます。
もちろん、自分一人が嫌だからという理由でグループをグチャグチャにするのがいいというわけではないんですが、色々な選択肢を選ぶことが与えられなかったなとは感じます。
そういうのが大人になって、いい年齢になった今も残っていて
どうにもこうにも価値観が合わなくて、時間を共有するのが苦痛。
という人にまで、昔先生に問われたように「仲良くするためにはどうしたらいい?」と自分に問うのです。
「嫌いと思ってはいけません」と。
でも、そういう感情って湧いてくることってあります。理由がなくても感覚的にダメと思うこともたくさんあります。
そんなときに、「嫌だと思う私はひどい人間だ」と自分責めを始めてしまって、さらに苦しくなってしまう。
でも、難しいことではなく、「私はあの人が苦手だ」「私はこれは嫌だ」と認めるだけでよかったんですね。
人はそれぞれ色を持っていると思うんです。
色って、混ぜることでとんでもない色になることってありますよね。
でも、混ぜることで別の鮮やかな色になることもある。
人間関係も同じなんじゃないかって思います。
ひとつひとつはキレイな色なのに、混ぜることで妙な色になってしまうというような人間関係って確かに存在しますね。
無理矢理混ぜて、とんでもない色を創り出しても誰も喜ばないんじゃないかな・・・。
だけど、 それって自分と混ぜると妙な色になるけど、お互い持っている色は単色で素晴らしいってことでもあるわけで。
自分以外の人と混ざると、とってもいい色に変わるってこともあるわけで。
そう思うと、とても楽~になってきました。