大人になると、いわゆる「耳に痛いこと」を言ってくれる人が少なくなります。
言われるほうはもちろん、言うほうもある痛みを伴いますからね。
痛みなんてお互い感じたくない、それなら適度に距離を置いて付き合えばいいじゃないか、ということになってしまうんです。
これを「大人の対応」と一般的に言うようです。
でも、一時的に「臭いものにはフタをしろ」的な対処は、ある時突然腐ったものが中で発酵し、そのガスがフタを押し上げてしまい、フタを閉めたとき以上に臭くなったものが溢れ出す・・・という事態に陥ることがありませんか?
こうなると処理も大変だし、なにより腐りきってしまっているので、もうどうしようもないんですよね・・・。
前にも書いたことがあるけれど、以前思い切って相手にとって耳に痛い言葉を伝えたことがあります。
・・・結果、嫌われました(笑)
「あの人苦手、色々された」と言われているらしいです
こちらも、そこまで言われていると聞けば「あぁ、仕方ないな」と踏ん切りもつくので、ある意味ありがたいことなのかも知れません。
私にも耳に痛い言葉を言ってくれる人は何人かいます。
やんわりと、こちらがボーッと聞いていたら気付かないくらいの感じで伝えてくれる人。
バッサリと言ってくれる人。
伝え方はそれぞれに違いますが、身に覚えがあるほど、聞いたときは痛いです(苦笑)
若い頃は単純に腹を立てていましたし、分かってくれないと逆恨み的に思ったこともありました。
でも、この年齢になると、耳に痛いことを言ってくれる人ほど、大切にしたいと思えるようになりました。
「大人の対応」で流そうと思えば流せるものを、あえて自分も痛みを伴いながらも伝えてくれる。
これって、
あなたとちゃんと向き合っているからね。
あなたともっといい関係でいたいからね。
あなたを応援しているからね。
という気持ちがなければ、絶対出来ないと思うんです。
そうでなければ、黙っていつの間にか、私の前からいなくなるはずです。
私と付き合う価値がない、と判断されれば、そんな面倒な時間も労力も割きたくないはずですから。
耳に痛い言葉を言ってくれる人ほど、私に何かあったときは
「あほかーーっ!」
って怒りながらも、すっ飛んできてくれるんです。
「耳に痛い言葉」を言ってくれる人を排除している人は、いつか周りは自分を称えてくれる人と、別に害がないから付き合っているという浅い付き合いの人ばかりになるでしょう。
生きていくには気持ちいいかも知れませんが、人は痛みを伴わないと研磨されず濁ったままだと思うんです。
・・・これを書きながら、私に耳の痛い言葉を言ってくれる、つまり「叱ってくれる」人の顔が浮かんできました。
また改めて、しみじみと「いてくれて、ありがとうね・・・」との想いでイッパイになりました。