子供の頃は、怒るとか悲しいとか、感情の元がハッキリしていたように思う。
○○ちゃんに嫌なことを言われたから腹が立つとか、お母さんに怒られたから悲しいとか。
大人になっていくにつれ、そういった元があるはずなのを、それを何かで覆い隠そうとするのか、うやむやになったまま残してしまう。
よく分からないけど、モヤモヤするとか、
よく分からないけど、寂しいとか。
そんな感情にふと囚われてしまい、どこかに逃げたくなるような感情を持つことがある。
私の逃げ場所はちょっと遠いので、ホイホイと逃げ帰ることはできないけれど、そんなときはいつも心の中でその場所に帰る。
その場所がここ。
ここは、子供の頃、おじいちゃんと一緒によく昼下がりを過ごした縁側。冬は暖かくて、よくおじいちゃんが昼寝をしていた。
私はその横で、大きな紙に絵を描いたり、本を読んだりして一緒によく過ごした。
縁側からは庭が見える。
市の区画整理で、家の前の道路が拡がることになり、前にあった離れとかがなくなって庭の様子も当時とは変わってしまったけれど、面影は残っているので、やっぱり見ているとホッとする。
ここで昔は妹や従兄弟たちと、色んな遊びをしたもんです。
どんなカタチであれ、心が逃げ帰れる場所がある、というのは本当にありがたいことだ。
心が逃げ帰ったときは、もう実体のないおじいちゃんがいつもニコニコと迎えてくれる場所。
そして、子供の私によく言ってくれた「お前に何かあったときは、おじいさんがどこにおっても飛んで行って助けちゃる」と言ってくれた言葉が、宝物のように降り注ぐ場所。
その人はいなくとも、あの場所がある、というのは支えになる。
その人はいなくとも、あの言葉がある、というのは支えになる。
娘たちにも、そんな言葉をひとつでも多く残してやりたい。私に生があるうちは、いつもここにいるよと約束しよう。
かつて私にそんな愛情を注いでくれた人がいたように。
この年になっても、まだなお、その言葉に守られているように。