なんとなくだが・・・
「悪気があって」の出来事よりも
「悪気がない」って出来事のほうが
困りモノだ~~~と思うことのほうが多くなかろーか?
「悪気がない」出来事というのは、相手もそうだが、自分においてもしかり。
「悪気があって」のことは
よろしくないことが当然なので、本人も気をつけていたりするけど
「悪気がない」ってことは
本人にそういう意識がないのでタチが悪かったりする。
私にとっては悪気はない、つまり悪いことをしたという認識はないが
相手にとっては嬉しくない、つまり気分を害しているので
結果的に悪いことをされた的な感情を持たれてしまったりする。
よく離婚の際などに発言される
「価値観の違いがあって・・・」
というアレは、そういうことなのでは?と思う。
悪気がないので、それってどうなん?的に言ったとしても
キョトンとされてしまったり
ひどい場合には逆ギレされてしまったり。
親子関係でも
友人関係でも、ビジネス関係においても
そういった認識の違いで起こる気持ちのやり場のない感情は
おそらくずっとどこかで起こると思う。
「悪気がない」というのは、無意識下で行っているので
誰かとかかわりを持つ以上は
相手のそんな部分に触れることになる。
「悪気がないから仕方ない」
というのが実は一番トラブルの元になるような気がする。
この発言をしてしまうということは
相手はまったく気にしてないけど、こっちは気になっている
って所だから。
悪気がないということは
言っても無駄と思ってしまい、修復されない可能性が高いと判断してしまう。
そうなると、もうこれ以上ストレスを抱えるのはごめんだとなってしまうのだ。
別れた元ダンナが
「俺は悪気があったわけじゃない」
と話し合いの時に何度も何度も言った。
逆に私に悪気はなかったが、元ダンナはそう思ってないケースもあった。
色々思い返せば
悪気があっての出来事よりも
悪気がなかった出来事のほうが、終わった関係が多いように思う。
結局のところ、どれだけ相手と向き合えるか。
相手を受け入れ、また自分も受け入れてもらえるかという信頼関係など
色々な土台があったうえで、
そういった部分のことも話せるかというところが
ベタだけど、一番なのかな~と思う。
そこまでして・・・と思うのなら、キッパリ一線を引くことも必要だろうし
無意識の悪気のない数々の言動に振り回されて
ヘトヘトになる必要もないと思うのだ。
でも、これの「悪気がなく」相手に不快感を与えてしまうというのは
誰しも持っている部分であるということには
間違いなかろーと思う。
違う人間が接触するというのは、そういうこともあると認識した上で
いい関係がひとつでも多く築けると
人生もまた彩りが増えて楽しかろう。
などと言いつつ、娘たちの「悪気のない」失態にお小言が絶えないハハでございます。