幸せだなぁと思うときって
もうどうしようもないくらい自分の内から湧き出てくる幸せ感情に翻弄されている
私の幸せを感じるときというのは
例えば色々あるけど
娘の身体を抱きしめて(娘は「きしょいんじゃよ!」と嫌がることが多いが)
思春期特有の身体の柔らかさの中、娘の心臓の音を聞いているとき。
あぁ、この心臓を私のお腹の中で作ったんだわぁ。
ちゃんと動いてこんなに大きくなったのねぇ~。
なんて思うとたまらなく幸せを感じる。
彼の胸に顔を埋めるのとはチト違う感情が湧き上がる
もちろん、彼の胸に顔を埋めるのも幸せだにゃ~と思う。
さらに幸せ感を倍増するために
彼の腕を取り、私の背中へ回すようにセットしたりもする(笑)
寝るときは時々、彼の左腕を真っ直ぐに伸ばし、その上に頭を置いてから
右腕を引っ張って腕枕&抱きかかえスタイルにセットして
「俺はお前のマネキンか!」
とブツクサ言われても気にせず、うひょひょ♪と眠りに入る。
より自分がニマニマ出来るように、自分でやってしまうところが微妙に可愛い・・・
自分が稼いだお金で娘と彼と食事に行き、ご馳走するときも幸せだと思う。
離婚したときは笑うくらい貧困だったのに
こうしてご馳走できることに、
大事な娘と彼とニコニコ笑顔で会話しながら
美味しいものを食べられることって
むちゃむちゃ幸せちゃう?って思う。
美味しい食事を噛むのと一緒に、幸せも
もぐもぐ・・・もぐもぐ・・・
と噛み締めて、飲み込むときに幸せも一緒に飲みこんでるような気分になる。
天気のいい日にベランダで洗濯物を干しているときや
うちのニャンコがゴロゴロ喉を鳴らして膝に乗っかってくるときや
ドアを開けたときにふと花の匂いがしたときや
桜の花びらが舞っている下を歩いたときや
数え上げればキリがないくらい幸せを感じることって日常の中に
たくさんある。
幸せって
誰かを幸せにして、それを見ることが幸せというのもあるけど
私は私が幸せだと思えるところに
ニヤニヤしながら寄っていってるところがあるように思う(笑)
都合のいい解釈かも分からないが
自分が幸せだと感じることが多ければ多いほど
自然に、結果として、誰かに幸せのお裾分けをしているんじゃないだろーか。
なので
娘に「また寄ってくる~!!」とケムたがられようが
彼に「くっつくな!」とハエのように扱われようが
私が幸せを感じるんだもん!
いいじゃんか!
のノリで、日々幸せを感じさせてもらっております(笑)
私の好きな歌の歌詞にこんなフレーズがあります。
幸せは誰かにしてもらうものじゃなくて
ちゃんと抱きしめあえる人がいること
私の「幸せ観」には流れがあって
1.自分が幸せを感じる
2.幸せを人に伝える
3.幸せはどんどん広まる
だから、誰かを、大事な人を幸せにするには
まず「自分が幸せをどれだけ感じられるか」ってコトだと思うんですよね。
幸せは、自分の内から湧き出るもの。
いいやん、自分が幸せを感じることをやれば。
だって、そのほうが幸せなんだもん!
本日の幸せのタネ。
過去、幸せにしてもらおうと思って結婚した。
そして崩壊。
自分の幸せは、自分からしか感じられないことだったのだと
今なら思える。